『有楽町山車と囃子連』 ①:山車 明治時代の初めに砂川村七番(現在の立川市)の山車として建造されたもので、その後大正10年に、浦町(現在の有楽町)深井伝右衛門第16世氏がこの山車を買い取り、町内に寄贈しました。 山車の構造は前部が囃子舞台、後部が楽屋の2部構成で、台は欅、車輪は樫、上部は欅の総彫で、幅2.5m、奥行3.7m、高さは4.7mあります。形式は『八王子型人形山車』とよばれるもので、単層唐破風屋根(たんそうからはふやね)の中央部に1本柱を立ち上げ、先端の台座に固定式の人形を据えたものです。この形式の山車は、江戸時代後期から明治時代前期にかけて八王子を中心に多摩、神奈川県北西部の地域にかけて盛んに建造されました。しかし、その後電線の架設にともない1本柱を上げ、人形を据えることが困難になり、次第に人形は姿を消していきました。 彫刻は正面唐破風の鬼板、懸魚(げぎょ)、脇障子、妻飾りなど随所にはめこまれ、山車の中仕切り上の欄間彫刻には彫刻師「後藤徳蔵」の銘が刻まれています。現存する多摩地域および埼玉県南西部地域の山車彫刻として優れた作品の1つとして数えられています。 |
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②:囃子連 |
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