重松流祭囃子保存会 元町本町支部
2006.09.01T.Na
「山車と本町囃子連」
元町本町が所有する山車の製作は明治5年頃と推定され、幅1間半、長さ2間半、総檜造りの見事な彫刻が施されている。大正初期まで加藤清正の盛留が山車の上に飾られていたが、現在は見ることができない。
本町囃子連は大正初期、十数人のメンバーで、大きなお祭りの前や冬場に練習を行なっていたそうです。現在も囃子連メンバーで本町の伝承者として現役で活躍されている鈴木氏が、当時の囃子連メンバーから子供のころから練習場に連れて行かれていたので、若い衆の頃に祭囃子を習得されています。その頃、練習時に描かれていた文字(地言)を基にし、現囃子連メンバーに祭囃子の技術、楽しみ方、叉、当時の様子などを話ながら練習を行なっています。現在大人20名、子供10名で構成しています。
「囃子伝承者 鈴木 清氏」
囃子連メンバーとして現役で活躍されている鈴木氏(明治45年生)は大正期に太鼓を習得した数少ない伝承者です。祭囃子との出会い、技術習得について練習時に話をしているので、その内容を紹介します。
鈴木氏の家の隣が、囃子連のメンバーでリーダー格であった人の関係で、小さい時から可愛がれ、練習日には背中におぶさって連れて行かされ、バチをオモチャにして大人に真似ながら叩いていたそうです。6~7歳で、屋台囃子以外は、つけ太鼓、大かんを、およそ覚えたと言う。
その頃の囃子連のメンバーは、鈴木氏が師匠と言っているリーダー格の栗原寅吉、他数名で練習していて、栗原は、つけ太鼓はもとより笛も名人級でしたと言う。メンバーの中で鈴木氏が1番年少で、練習の準備、先輩達の太鼓の相手等で、大変勉強になったと言う。囃子の基本的な技術についてはおよそ16歳頃までに習得したそうです。練習には他の町内からもよく顔を出す人もいたそうです。しかし、練習に来る人はあっても、他の町内へ行って叩いた事は有りませんでした。これは、他の町内に行くと他のバチが混じるからと言っています。
山車(神明神社にて囃子奉納)
囃子連の練習風景(所沢市立中央公民館にて)